「入り口」が変わらないことには!

 文部省のHPには、まだこの答申は掲載されていない(98/10/27現在)ため新聞、TVの報道を元にしたものですが・・・・。
 「入りにく」く「出にくい」大学って最低だと思ったり、どこまで、子ども達を苦しめるのだろう?と思ってしまいました。 

大学審議会が文部大臣に答申

単位認定については、宿題やレポート、出欠状況を見て、厳しく認定する。

一年間、または一学期間に授業を受けられる科目数に上限を設ける。

 「簡単には卒業させない!」「きちんと勉強しろ!」ということ。
 多くの学生が、3年生までに卒業に必要な単位を取得し、4年生は就職活動に充てる、という傾向への歯止めも。
 一方、特に成績優秀者には3年生で卒業も可能にさせる、という。

大学評価を客観的に行うために、「第三者機関」を設置する。

 国立大学に義務づけ、公立、私立は希望すれば受けられる、というもの。
 評価の対象は、「教育、研究」面。「社会貢献」などの公共的な側面。
 評価結果は国立大学の予算配分を行う際に参考資料の一部として活用される。

学長・学部長を執行機関、評議会・教授会を審議機関と位置づける。

 これは、「機動的な意志決定が欠かせない」と言うことから来るもの。
 でも、大学の自治、という点から見たら、とても問題ではないだろうか?

受験、受験で追いまくられて〜受験生達の悲鳴が聞こえる〜

 せめて、学生時代は思いっきり自分の好きなことをやりたい!
 そうした声が新聞などにも掲載されていた。
 「何を甘ったれたことを言っているんだ!大学は学ぶ場だ!」
 そんな批判があることは百も承知している。
 しかし、小学校の高学年にもなると、高校受験の陰が忍び寄ってくる。中学に入れば、即、「進路希望は?」「どこそこの高校に」と言う話が始まる。
 「高校に入ったら、好きなことをやれば良いんだから」というのが親の殺し文句。
 で、偏差値で輪切りにされて入った高校では、「さて、何処の大学へ?」

 彼ら、彼女たちにしてみればたまったモンじゃない、と思う。

 やっと入った大学で息抜きをしたい、そう考えるのはもっともなことだと思ってしまう。

 大学受験が大きく変わらない限りは、今の教育制度は変わらない。
 今回の答申では、入試制度そのものについては見送られた。

生き残りをかけて・・・・

 少子化の影響で2011年には大学進学を希望する全ての子ども達が、入学できるキャパシティがあるそうだ。
 しかし、これに伴い基礎学力が不足したまま大学に入ってくる学生が増え、教育が大変になるということが危惧されている、というのだが。

 ここ数年、高校の進路指導の教師仲間に聞くと、
 「就職するよりも、短大、専門学校の方が入りやすい」という傾向が一段と強くなっている、と。

 かつて好景気の時、企業の採用担当の人が、

 「どんな生徒でも結構ですから、送って下さい」

 と頼みに来た時のことを思い出していた。
 
 これは、「生き残り」ということでは、大学も企業も高校も同じなのだろうか。

 「学ばない学生」と「面白みのない授業」
 この問題を当の大学の教官達はどう受け止めているのだろうか、と思った。

子どもには苦労をかけない親達

 これは、一昨日の新聞か、TVのニュースで報道されたこと。(ニュースソースを探しているんですが・・・・・(‥;)
 今、全国の私立高校生の授業料滞納者が急増している、とのこと。
 併せて、大学の仕送りが家計を圧迫している、とも。

 確か、大学生協連の調査報告だったと思うが・・・・
 東京の大学へ通う子どもへの平均仕送り額は月額9万円。
 不況、倒産などでその仕送りが大変になってきているが、その他の家計を切りつめても、苦しみは子どもには転嫁させず、という家庭が多いということだ。
 「苦学生」という言葉は死語になっているのだろうか?

 それよりも、「甘やかされている子ども」が如何に多いか、ということの表れだろうと、僕は感じた。
 同時に、ここにも「学ばない学生」を多数生み出している原因があると思うのだ。

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