家族って、「居場所」なの?

子どもの世界と権利条約(第5回)  文/渋井哲也(フリーライター)

 最近では「居場所」という言葉がはやっています。
 そもそも「居場所」とはどんな場所なんでしょうか?
 増山均・日本福祉大学教授(児童福祉)は次の要素を説明しています。
   (参考資料は、 「安心・自身・希望をふくらませる 子どもの居場所づくりを」
    日本子どもを守る会機関誌『子どもを守る』99年5月号)
 1)「安心感」と「解放感」が得られ、居心地のよさを感じられる「心のよりどころ」
 2)子どもたち自身が「存在感」や「期待感」を持てるところ
 3)そこで生きていること、活動していることへの「価値観」と「充実感」をかみしめることでできる
 として、「<子どもの居場所>は、競争や管理の渦巻く毎日の生活の中で傷ついた心を癒す避難場所であるだけでなく、仲間と一緒に楽しい取り組みを企て、組織の力と集団の自治によって自信をつけ、希望をもって社会に参加していく力を励ましていく拠点」と位置づけています。

 また福田雅章・一橋大学教授(刑事政策)は、子どもの権利条約の第12条「意見表明権」とのからみで、 「意見を自由に表明できるためには、「そのままでいいんだよ」と安心して受容してもらえる人間関係(居場所)の保障が不可欠の前提であり、これなしには意見表明権は画餅でしかありえない」
 (参考文献は、「「子どもの権利条約」を歪める危ない学者」 月刊宝石99年7月号)

 2人の主張には共通するものは、安心感があり、そこでは自由にできるという人間関係ということではないでしょうか?
 みなさんの家族はどうですか?

 今一生さんの「家を捨てよ、街へ出よう」は、そんな家ではなくなった人たちを描いています。
 また、今も復活しつつあるアニメ「機動戦士ガンダム」も、主人公アムロが父を超え、母から離れる自立のスト−リ−にも見えますが、結局、アムロは「よりよき」家族を夢見ているようでもありました。その宿敵であるシャアも出合う女性には母親を求めていました。
 「エヴァンゲリオン」でも、主人公のシンジをはじめとする登場人物のほとんどが家族に居場所を感じられずに育ち、いわゆるアダルトチルドレン的な生き方を模索し、常に「承認」を求めていました。
 この2つのアニメとも爆発的なヒットでしたことはみなさんも御存知ですね。
 とくに「エヴァンゲリオン」のヒットと同じ時期に、アダルトチルドレンが流行し、関連した出版物もたくさん出されましたね。
 「承認伝達」というのは、宮台真司・都立大学助教授(社会学)がキ−ワ−ドとして挙げているものの一つで、宮台氏は居場所について、「ホ−ムべ−ス」という表現を使っていますね。このキ−ワ−ドは、アダルト・チルドレンの流行と同時期に宮台氏が使い始めたような気がします。特に、宮台氏の論理では、「第4空間」として、匿名社会(テレクラやストリ−トなど)を居場所として捉える指摘も見られます。

 また、「居場所のない子どもたち」(DGルカインド著、久米稔ら訳)という本には、「成長するための時間」というものの必要性について書かれています。

 私自身の「居場所」論を整理してみますと、 (順不同)
 1)安心感=承認伝達
 2)自信=自己肯定感=自己効力感
 3)意見表明
 4)自治
 5)時間
 6)希望
 の要素が考えられると思っています。

 この考えからすると、みなさんの家族はどうでしょうか?
 家族が居場所ではないとしても、このような場所があるでしょうか?