学校を変えるには?

子どもの世界と権利条約(第4回)  文/渋井哲也(フリーライター)

  まずは休息を

 「不登校が出来ればいい。不登校もできず、仕方なしに学校へ行っている子どもたちが多いんです」
 ある高校生から聞いた言葉です。この言葉から読み取れるのは、“学校はつまらないし、居場所がない。本当は行きたくない。でも不登校をしたくても、何らかの理由でそれはできない”という精神的な不安定さでしょうか。
 「極度に競争的な教育制度によるストレスのため、子どもが発達のゆがみにさらされていること、および、その結果、余暇、身体的活動および休息が欠如していることを懸念する。さらに、不登校・登校拒否の数が膨大であることを懸念する」
 これは昨年6月に国連子どもの権利委員会が日本政府へ勧告した一部です。簡単に言えば、激しすぎる受験競争が子どもたちにストレスを与えて、十分は発達が出来ない状態を指摘しています。その結果の一つとして不登校が多くなっているんじゃないか、という一文です。

 このストレスをなくすことがまずは大切になってきます。文部省の「子供の体験活動調査」では、運動もしないのに普段から疲れを感じるのは平均で「よくある」が12%、「時々ある」が33%で計45%。7〜8歳の小2で33%、小4で37%、小6で43%、中2には60%と高学年になるほど目立っている。私が取っていたアンケ−トでも「もっと休みがほしい」など休息を訴えるものもけっこうありました。授業時間数のみならず、部活や行事など実際に学校に関わる時間を少なくすることが第一歩ではないでしょうか。

   体罰・いじめ

 また学校にいる時間内での問題もあります。体罰やいじめという暴力におびえている子どもたちもいます。
 文部省によると、体罰で懲戒処分(免職、停職、減給、戒告)を受けた教員は109人。人事記録に残らない訓告などが305人。合わせて414人で、過去最多だった96年度の407人を上回っています。
 いじめのデ−タが手元にはないので、統計的なことは示せません。 (すみませんね)
 このような暴力の解決にはどのようにすればよいのでしょう。
 「学校 における暴力を防止するため、特に、体罰およびいじめを根絶するために、包括的 なプログラムを開発すべきこと、および、その実施を綿密に監視すべきことを勧告する」
 このプログラムとはいかなるものなんでしょうか。私は、現在、教職員主導の体罰・いじめ根絶体制には疑問を持っています。東京の暁星中学・高校の生徒会がかつて提案し、つぶされた「体罰問題相談所」構想のようなものがいいと思っています。

 その構想では、相談の流れは、まず具体的に解決したい(はっきりさせたい)人が「予約カード」に記入(プライバシーの保護のため無記名でも可)。カード提出者と相談所の間で話し合って、相談所が、カード提出者と当事者が同じフィールドで話し合える環境を用意。そのため話し合いではあくまで中立の立場をとります。それにより、 話し合いによる和解、解決。
 解決方法としては、話し合いによって双方が納得する形が理想ですが、お互いが意見書(謝罪書を含む)を渡しあうとか、生徒全体で考えるべき問題ならば生徒会の代議員会に議題として提出など、生徒の人権確立を目指すというものです。

 ただし学校側はこの提案を「生徒活動を逸脱している」との理由で受け入れられませんでした。
 一方、いじめ根絶も生徒主導で行っているところもあります。暁星の「相談所」のような流れでの解決です。これはイギリスなどにも見られるのですが、最近では日本でも取り入れる学校が出てきました。私が取材したある中学校では、発案者が責任者の時代はいじめを解決したケ−スもあったようですが、責任者が卒業してしまうといじめのアンケ−トを取るくらいで、活動はあまりしなくなったということでした。教師側のフォロ−が欠けていたことも原因の一つでしょうが。いじめは教師が気がつかない場合や、教師が介入することで解決を複雑にする場合もあるでしょうから、生徒主導の解決はこれから進展していってほしいですね。

   三者協議会の設置へ

 しかし、これらの根本問題は「子どもたちの意見表明権と参加権」の問題ではないかと思います。
 一部の学者や教育関係者は「意見表明を認めたら教育は成り立たない」という声も聞かれます。これは大きな誤解です。誤解の元は「表明された意見をすべて実現しなければならないのか」とか、「意見表明できる結果責任の能力が子どもにはない」というようなものです。

 国連子どもの権利委員会の委員で、日本政府報告書審査の時に議長を務めたジュディス・カ−プさん(イスラエル)が次のように言っています。

 「意見表明権は、子どもの意見を聞き、その意見を尊重して、その実現に大人が努力すること。しかし、実現できない場合は、大人が子どもに納得できるように説明しなければならない」

 つまり、すべてを実現できなくても、それが子どもに納得できる説明をする義務が大人にはあるのです。
 国連の勧告では
 「本委員会は、特に、韓国・朝鮮人の子どもの高等教育へのアクセスに不平等が存在すること、および、参加に関する権利の行使にあたって、社会のあらゆる側面において、子どもが一般的に困難に直面していること、特に、学校制度において困難に直面していることを懸念する」
 
 として、在日コリアンの問題と同じように、特に学校内での参加権をとらえています。
 少数ながらも、実際に子どもの参加を保障しようとする取り組みをしている学校もあります。千葉県の小金高校、東葛高校、長野県の辰野高校などでは、教職員と子ども、保護者の間で学校問題を話し合う「三者協議会」をつくっています。また、埼玉県の所沢高校では、教職員と子どもの間で「二者協議会」があります。

 しかしながら、「学校の個性化」の名の元に、校長権限の強化という流れがあり、子どもの参加権の問題は取り上げられないばかりか、一方的な非難の対象になっていることは報道などで知っていることでしょう。

 文部省も「学校だけでは限界」という見方を示しています。
 しかし、本当に限界なのは「従来の学校システム」です。このにメスを入れずに、単なる地域の教育力をあてにするというやり方には疑問を感じます。
 本当に学校を変えるには、子どもと親が、学校関係者に「お願い」をする立
場でなく、「一緒に考える」立場になることが第一歩なのです。

                    ◆
 そういえば、「児童買春・児童ポルノ法」が衆院本会議で可決。成立しました。
 わたしはこの法律には批判的です。その理由は

  http://menber.nifty.ne.jp/~sbtetuya/child.html

  (【連載】子ども買春・子どもポルノ)の項目で。