学校へ行かなきゃいけないの?

子どもの世界と権利条約(第3回)  文/渋井哲也(フリーライター)

 「学校に行きたくなければ行かなくていいと思う。みんなは行かないと将来、たいへんだよとか言うけど、行ってない方が自由な時間があるし、いろいろな事が学べると思う」。
 この声は、国連に子どもの意見を届けようという取り組みをしていた「子ども21世紀委員会」のメンバ−だった私がインタ-ネットなどでアンケ−トとして集めた意見の一つで、不登校をしている子どものものです。アンケ−ト結果のアドレスは以下の通りです。(ちなみに、アンケ−トの内容は「子どもの権利条約にいがたの会」が行ったものを参考にしました) http://member.nifty.ne.jp/~sbtetuya/kekka2.html

 さて、不登校は「『学校嫌い』を理由に30日以上欠席している」ことと文部省が定義しています。その定義通りの不登校は小中学校で年間10万人を越える時代になっています。実際には、これより多くの子どもたちが不登校のようで、たとえば学校側で欠席の理由を変えるとか、校門に触ったら校内に入らなくても出席扱いにするとかで、“難”を逃れていると聞きます。
 また、中間教室(適応指導教室)や、フリ−スク−ルでも出席扱いになるので、これらの数を含めると、相当数が不登校であることが推測されます。

 なぜ、学校に行けなくなったのか、を議論する前に、そもそも学校に行かなければならないのでしょうか?
 いわゆる中学までの義務教育の「義務」とは、保護者が子どもに教育を受けさせる義務であって、学校に行かせる義務ではありません。もちろん、不当に学校に行かせない場合は児童虐待になりますが、強制的に行かせることは何の法的根拠はありません。つまり、学校に行かなくても何も罪悪感を持たなくてもいいのです。これは当然のことですが、これを知っておかないと後の話が続かないので、あえて触れてみました。

 学校へ行かなくなるきっかけもさまざまですね。
 アンケ−トで集まった声でも、私が想定した「いじめ」「学業不振」「友人関係」「何となく」以外の「その他」が34人中13人で、もっとも多かったのです。その中でも教師との関係も多く、「ウマが合わなかった」ことをはじめ、体罰など、教師のやり方に不満を覚えていたものも目立ちました。
 そういえば、昨年5月に国連で意見表明をした高校生のうち1人は、中学のことに私服で登校をしたことを理由に学校側から「通学拒否」をされ、学校へ行かなくなりました。
 また、長野県でも、茶髪を理由に登校できなかったケ−スがありました。この子は児童相談所に「家出」を理由に一時保護されたのですが、前向きな気持ちになって登校しようとしたら、学校側に「心が入れ替わっていない」と言われていました。
 続いては「何となく」で7人。つまり、自分でも理由が分からないのでしょうね。三番目が「友人関係」。いじめとはいかないまでもトラブルを解決できなかったことでしょうか。
 私が一番多いと予想した「いじめ」は5人でした。ちなみに「学業不振」は1人。
 このように、不登校の理由は多岐にわたり、しかも予想もつきません。多分、別の調査では違ってくるでしょうね。結局、理由を断定して、犯人探しをしても、全部が犯人になってしまうことでしょうね。犯人探しは、個別ケ−スで意味がある場合も否定できませんが、原則的にはあまり意味がないと思います。
(こんなことを言うと、現場で「不登校の減少」について頑張っている教師を刺激しそうですが)

 私がかかわっているフリ−スぺ−スには、学校に行っていない子、かつて行っていなかった子、学校に行っている子、さまざまな立場の子どもが参加しています。でも、子どもたちからは「どうして学校いかないの?」という言葉は聞いたことがありません。お互いの行動を尊重しているようですね、多分…。
 そこに、ある親が相談に来ました。その親は「学校へ行け!」と娘に毎日のように言っているそうです。でもその親の言い分では「“学校へ行け!”というプレッシャ−に負けないでほしい。別に本心から学校へ行ってもらいたいとは思わない。でも、強くなってほしいんです」。
 「強くなってほしい」と願うには、或る意味では「親心」でしょうね。でも、不登校をした自分の娘は弱者だという考えがあるのでしょうね。
 私は黙って聞いているだけでしたが、その父親の言葉を母親も初めて聞いたようで、驚いていました。夫婦できちんと話し合わなかったのでしょうかね。
 世界的に見てみましょう。先進国で学校教育以外に、フリ−スク−ルやホ−ムスク−リングなどのオルタナティヴな教育は認められています。学校は、親の教育権の委託機関に過ぎないのですから、当然ともいえます。
 権利条約に関する運動を通じて知りあった人がこう言っています。
 「学校は、図書館や美術館、公民館と同じような施設と考えれば、不登校の問題も楽ですよ」
 まさにその通りだと思いました。利用するのは「義務」ではなく、市民としての「権利」なのですからね。
 ただ、不登校問題の放置は、不登校もできず学校に行くしかない子どもたちを救えない。そのため、学校内改革も同時進行しなければなりません。 それは次回に。