ACをめぐるよくある誤解

子育てリストラ宣言:その2  文/今一生(フリーライター)

 昨今、教育や子育ての現場でも頻繁に登場するようになった“アダルト・チルドレン”(AC)という言葉をご存じでしょうか? アダルト・チルドレンとは、正確には“アダルト・チルドレン・オブ・アルコホリック”といい、アルコール依存症の親の下で育ち、大人になった子を意味します。最近では、アルコール依存症に限らず、ワーカホリック(=仕事依存症)やその他の依存症の親元で育った子どもたちもACとして語られるようになっています。

 依存症には、よく知られている摂食障害(過食症や拒食症)やアルコール依存のほかに、買い物依存、盗癖、自傷癖、セックス依存、薬物依存、ギャンブル依存、虚言癖などまで広範囲にありますが、ACはこうした依存症を癒すうえで正確に理解されなければならない重要なキーワードになっています。
 しかし、この言葉は98年の流行語大賞にトップ10入りした割には十分に理解されておらず、精神医学の学会や臨床の現場でも公式に認められていないようです。
 露骨にAC批判を展開する精神科医までいますが、僕は精神科に通う患者たちの声を総合すると、どうも臨床の現場で患者の家族への取材を怠る精神科医が多い気がして、AC批判が多数派の精神医学界に疑問を感じています。

 10年近く同じ精神科医に診てもらい、「キミは家族に問題がある」と診断された知り合いの患者がいました。しかし、その人の家に、担当医は一度も足を運んだことはありませんでした。
 家族の問題は家の中に踏み込んでみないとよくわからないと、ライターの僕は感じていますが、両親にさえ会わない精神科医がおそらく少なくないはずです。
 ACをめぐる理解が進まない理由は、おそらくここにあるでしょう。無理解はさまざまな誤解を生みます。自分の苦しみを親のせいにするACという考え方は甘えにすぎない。…なんて批判もよく聞きますが、親のせいにすることでわが子の病気が治るのなら本望ではありませんか。
 また、ACを病名だと思っている方も少なくないですが、ACは病気の原因を示す単なる一つの定義であって、病名ではありません(その先にある依存症は病気と呼んでも差し支えありません)。
 さらに、ACを日本に紹介した貢献者の斉藤学先生(家族機能研究所代表/精神科医)が『AERA』という雑誌で「もうACという言葉は使わない」とコメントしたのも誤謬があり、先生のホームページでは「治療に必要な時は使う」と反論しています(もともと『AERA』側の担当記者に理解が足りなかっただけなのです)。

 最後に、「ACは曖昧な定義だ。自称ACだって多いじゃないか」という声もありますが、これも理解不足から来る凡庸な批判です。
 親が依存症だった場合、子どもの前で十分に親としての働きが出来ないことが多く、これを機能不全家族といい、ACを作る温床と考えられています。親としての働きとは、わが子の自尊心とプライバシーを守り、わが子が家の外へ出ていく自立を助けること。わが子の自尊心を傷つけているかどうか感じ取れない場合、親御さんがACである可能性が高いのです。
 ACが病名ではなく、自覚して自称し、自分を癒せるとわかれば、子育て=親育てだと痛感されるのではないでしょうか?