まず、親が苦しみを吐き出す

子育てリストラ宣言:その1  文/今一生(フリーライター)

 世の中には、「正しい生き方」などありません。…などと言うと、眉をしかめる方も少なくないでしょう。
 「最低限守るべき正しい生き方はあるはずだ」と反論される方が大半のはずです。たとえば、人は必ず結婚し、女性なら子を産み、夫は生活を支える労働に時間を費やし、親になったら子を育てる…。
 それが、「正しい人生の送り方」であって、結婚も労働も子育てもしない人は「最低限」以下(未満)の人生だ、と。だから、わが子が「最低限」以上の人生を送れるかどうかを、自分が子育てをする際の一つの基準にしている、と自信を持っておっしゃる方がいらっしゃいます。それで何の問題もなく、親子が人生をまっとう出来るなら、この子育ての基準を疑う理由はありません。しかし、この基準こそが子どもを、そして親自身を苦しめる現実があるのです。

 僕は97年10月に、『日本一醜い親への手紙』(メディアワークス:発行/主婦の友社:発売)という本を企画・編集しました。この本では、親を愛せなくなった「子ども」が親に本音を書き綴った手紙集です。
 「子ども」といっても、小さい子ではありません。9歳から81歳まで100人の「子ども」です。もっとも投稿が多かったのは30〜40代の「子ども」でした。中年に差しかかる年齢になっても(いや年齢を重ねれば重ねるほど)自分の親を受け入れられない気持ちが募る方が少なくなかったのです。

 僕がこの本を編集したのは、『日本一短い母への手紙』という大ベストセラー本が気持ち悪かったからです。そこに投稿されていた手紙は、すべて母に感謝を捧げる「子ども」からのもので、その一方的な感謝の態度にどこか無理を感じました。人は、愛憎の両方があってこそ本当ではないか? ここまでは愛せても、これ以上は愛せない。そうした境界線上を生きているのが日常的な現実ではないか?

 しかし、そういう問いかけ自体、この国は封印してきました。子どもは親を愛し、敬うものであって、親は子どもを愛し、導くもの。親が子どもを愛しているのは当たり前、だからこそ子どもは親に従わなくてはいけないし、親を憎むなどもってのほか、親を憎んだり、愛せないでいるのは未熟なこと。そうした認識こそが良識であって、これを崩すと家族は崩壊し、社会全体が悪くなるとまで論じる識者もいました。
 ところが、現実にはそのまったく逆の例も少なくなく、親が子どもを「愛する」のも自明ではなく、子どもが親を「理解する」ことで成熟した大人になるというプロセスにも無理はあり、父性の復権をすればするほど子どもが壊れていくのも珍しくありません。前述の「正しい生き方」を子育ての基準にすると、こうした現実がどうしても目に入らない。

 では、「正しさ」を見失った親子関係に救いは無いのでしょうか?
 あります。答えは『日本一醜い〜』に投稿された方々からいただきました。彼らは、親から愛されなかったゆえの苦しみを、孤独を、痛みを自ら文章に吐き出しました。それにより、自分の内面が長い教育期間の中でどのように形作られたのかに気づき、本書を読んでそれが自分一人の苦しみではないと知って安心されたのです。本書を読むことが退行(=子どもに戻ること)を促し、ふだん子どもの前で演じ続けてしまう「親」の役割から解放されたのです。「親」を降り、自分を変えること。そこから子育ての新しい方法が始まったのです。