約1年半ぐらい前から、香川県で小学校の制服問題から始まって、PTA活動や、学校体制の見直しに取り組むグループ代表の方と情報交換を重ね、現地の活動について折々に触れる機会があり、それも交えて下記に現在までの状況を説明します。
1.小学校でも、中学校でも、制服の自由化を提唱するのは、基本的人権である表現の自由・選択の自由を実生活に生かしたいとの発想です。何も特別な要望ではありません。
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2.学校もまたそこで生活する子供も、社会の一員であることに変わりなく、社会生活を行う上で当然に権利は存在します。
権利には義務が前提のように主張する「大人」がどこにでもいますが、子供は生まれたときから、その人格において大人と同じく法の元で尊重されているべきであり、その権利は決して、大人が負う社会的義務とは相関関係にはありません。
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3.まず、なぜ制服に統一しなければならないのか?という疑問に明確な答えは存在しません。その答えを強制することは、独立した個人の「宗教」「政治信条」「嗜好」等を強制するのと同じで、だれでも納得できないでしょう?
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4.香川のある学校では、規則である制服を拒否することで生徒がいじめを受けても、自業自得だから、学校は一切その生徒を助けない、と校長が明言し、生徒本人が不安に負け、制服を着用した経緯もあります。
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5.民主的であるはずのPTAは、政党政治の実態と同じで、正論よりも、既得権をまもりたいのか、数の論理で、 改革を目指す人は排除し、PTA活動を共に行って、互いの理解を深めるどころか、PTAへの参加そのものを 拒み、情報はあえて与えず、密室ですべてを決定します。
制服に限らず、PTA、生徒ほか、関係する人々すべてを対象に、テーマに沿って話し合う機会を求めても、少数の役員と校長・教頭レベルで、必要なし!と決定してしまいます。
PTAの会則では、会員個々の議決権は平等なのに、提案を採択するかどうかの決定権は、すべて役員・執行部にあるとの回答で、過去の提案はすべて却下されています。
PTAの中で、学校管理者も含めてそのような非民主的な活動を維持することに奔走している中で、学校を取り巻く諸問題を解決する能力など見当たらず、根本的な問題はいつまでも先送りです(中学校はたったの3年で卒業)。
滋賀県でも、学校内に評議会を置く試みがやがて始まりますが、あくまでも「学校長の推薦による人選」で、 開かれた学校を作る意図などなく、派閥つくりにしか思えません。
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6.子供の自立なくして、われわれの未来はあるでしょうか?たかが制服さえ自由にできず、また、自分で決定する習慣さえ育まれない子供たちに、社会は何を求めるのか!
我々が積み残す負の遺産は余りに多く、彼らに的確で迅速な解決策を見出してもらえなければ、今の「大人」にはその力も勇気も持ち合わせていないのです。
「たかが制服。されど制服」なのです。