ゆーたの不登校2

メールマガジン「子育て・学校・子ども達…」11/09 Vol.57 より

担任

 「5年生になってから、学校に来なくなったと言うことで、自分に何か原因があるんではないかと悩んでます」担任の先生は、そう言ってくれた。
 ……良い先生だなっ、素直に思った。
 確かにゆーたは5年生になってから、学校を拒否し始めた。
 しかしこれは学校や担任の対応に問題はあったとしても本質的な問題だとは思わない。
 「なるべくしてなった、登校拒否」であったと思う。
 友達とのこと、担任とのやりとりは、きっかけにはなったとしても、ゆーたが僕たち親に投げかけていることは、もっと、もっとあの子自身の存在に関わる問題、自分とは何か、ということに対する出口の見えない「問い」のような気がする。

 担任の先生が悩んでくれていることは、とても嬉しい。
 そして、悩んでいることを、率直に悩んでいる、と言ってくれた事が。
 
 「時間が今は必要です。ゆっくり行きたいと思いますから、先生もゆっくり考えてください。ゆーたのことを忘れないでいてくれれば、それで良いですから……」
 そう伝えた。 

自分を変える

 「教師をやっていて楽しいことは?」そう聞かれるたびに
 「そりゃぁ、自分を変えることをつきつけられるから」
 と、僕の答えは決まっていた。そして付け加える言葉も決まっていた。
 「生徒たちとつきあっていくと、自分の価値観や固定観念がこれでもか!と言うくらいに覆される。そのたびに自分のことを考えられる。お金をもらって自分を変えてくれるんだから、こんなに良い商売はないヨ」
 「もっとも、生徒たちとトラブルのまっただ中の時には、『コンチクショー』ってなっているけれどもね。」と。

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 ゆーたが学校に行かなくなって一ヶ月が過ぎようとしてる。
 僕は久しぶりに、かつて教員をやっていた頃のような「自分を変える」ということを突きつけられていることを実感できるようになってきた。
 「パパは、5年生になってから、すごく厳しくなった」
 「一度にあれもこれも言わないでよ。」
 「言い方がきついんだよ。だから、ゆーたはパニックになっちゃうんだよ」
 
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 僕は器用な人間だと思っている。
 運動能力も決して低い方ではないと思うし、音楽、文学などに対しても、それなりのものを持っている、と。
 所謂マルチ人間、器用貧乏、なんだと思う。
 また、人に負けることが嫌いで、「凄いなぁ」と思う人間に対しては、どん欲なくらい自分に何か吸収できないかと思ってきた。
 自分の中に「ハングリー精神」が失われ、怠惰な自分を一番嫌ってきた。
 一人で何かするよりも、仲間と何かを作り上げることが好きだった。
 ウジウジ悩むよりも、何かしら動いていく中で見えてくる、そういうパターンで行動してきた。

 そんな風にして僕は生きてきて、そして今がある。

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 で、ゆーたはと言えば……。
 今の状態は、今までの自分の行動パターンでは考えられないことばかりだ。
 確かに障害を持っている、ということはあっても、一番の問題は、今、そこにいるゆーたが出発点になっているのではなく、僕自身の生き方や、考え方が出発点になっていることだと、今更ながら思うようになった。

 「親が変わらなければ、子どもは救われませんよ」
 何百回と口にしてきただろう言葉を、今、そのまま自分に向けてみる。
 かつてゆーたが生まれたときに、初めて「いのちの重さ」を実感した時のように、改めて、その言葉の持つ重さを感じている。

義務教育

 「義務教育は、親が子どもに教育を施す義務であって、子どもにあるのは、教育を受ける『権利』だ」と今までも口にしてきた。

 僕たちは何の疑問も持たずに小学校に入学した。
 学校は一つの教育機関であり、そこを選ぶ、選ばないは子どもが選択する権利を持っているのだろう。
 もっとも、6,7歳の子どもにそこまでの判断ができるかどうかは、甚だ難しいところだろうが、僕は
  「小学校、って所があって、そこで色々な勉強を教えてくれるところがあるけれど、お前はそこに行きたいか?」
 と、親父に聞かれなかったし、ゆーたにもそんな問いかけをしなかった。

 今、ゆーたは「学校」で教育を受ける、と言うことを拒否している。
 「初めに学校ありき」という感覚ではなく、「初めに子どもありき」という考えに立つことが、ホント大切なんだろうなぁ……。

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 「勉強の遅れは大丈夫ですか?」心配して、メールを送ってくれた方もいた。
 「勉強の遅れ」については、あまり気にしていない。
 ただでさえ、難しいことを詰め込まれ、次々と新しい単元に入っていって、「落ちこぼれ」て行く子ども達が多い中で、「勉強嫌い」「学ぶことが嫌い」になることの方が、よほど悪影響を及ぼすだろう、というのが僕の実感。

 かつて教員をしていたとき、生徒達はよく言った。
 「小学校の高学年から、勉強が嫌いになった。だって、わからないでも、どんどん進んで言っちゃうんだモン!」と。

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 「同世代の子ども達との関わり」は、子どもにはとても大切なものだと思う。学校と言う場はそれなりに意味があると思う。しかし、同世代の関わりがかえって、その子どもの人間性を破壊するような場であれば、何が何でも、とは絶対に思えない。
 
 「我慢することが大切だ」
 それはもっともな意見ではあっても、子ども達の世界というのは、大人が考えている以上に「残酷な世界」だと思っている。
  
 ゆーたの場合、今しばらく、家族の中にいることが必要なのかもしれないなぁ、と。

 じゃ、いつまで……???
 う〜ん、わからない!(^^;;